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憧れの「フレッド・アステア」その1

2019/02/11
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私が芸事の世界に飛び込んだのは、「フレッド・アステア」みたいになりたかったからです!!!

若い方は「誰?その人??!」って思いますよね~(笑)

戦前から戦後にかけて、活躍した特大スターですよ。

ダンサーとしてトッテモ有名だけど、歌えるは踊れるは楽器を弾くは・・何でもこなしてしまうスーパースターなのであります。

 

「フレッド・アステア(1899~1987)」は、東欧ユダヤ系アメリカ人で、子供の頃からお姉さんのアデルと共に舞台に立ち、ブロードウェイのトップにまで登り詰め、アデル引退後、単身ハリウッド入りしました。最初所属した映画会社はRKO。その後MGMに移籍。一旦引退しましたが返り咲き、数々のミュージカル映画に出演。テレビの時代になってからは、自分のショー番組を企画。テレビドラマの脇役としても活躍しました。

 

超完璧主義だったそうです。映画界に入って嬉しかったのは、舞台と違いパーフェクトな演技が出来たからなのだそうです。総てのダンス・シーンをワン・テイクで撮ろうとしたそうです。凄いですね。

 

私がフレッド・アステアに凝り始めたのは20代半ばからです。子供の頃から知っていましたが、タップダンスを始めてから少し興味を持ち始め、彼のレコードを聴いてから本格的にハマりました。

フレッド・アステアの歌は、音を楽しみ楽しみながら音を奏でているという感じなのです。それまで色んな人の歌を聴いたけど、彼の歌程のショックは無かったです。

聴いた直後にビデオ屋へ直行しました。近所に限らずアチコチのビデオ屋で映画をあさりました(苦笑) その頃に、日本公開映画はほとんど観ました

当時の私は、ダビング能力のあるビデオ(VHS)機材は高くて買えませんでした。再生専用の機材を買って(それも、電気屋の展示用下げ売りを値切って購入)、映画のダビングをしてくれるビデオ屋を探して、3倍速(VHSも高かった)で焼いてもらって、フレッド・アステア三昧の日々を送りました(爆笑)

 

クラウンカレッジというサーカス・ピエロの学校が出来た時に見学に行ったら、講師の方々の動きがフレッド・アステアそっくり! こりゃもう「入るっきゃない! 」と思いましたね~(苦笑)

オーディションに受かったので、そのまま「クラウン(ピエロ)」の勉強をしました。

 

あの頃は ただヒタスラ、「フレッド・アステアみたいになりたい!」って思っていました。

今でも気持ちは変わっていませんが、少し方向性が変わった様に思います。

 

そこで、しばらく「フレッド・アステア」話にお付き合い下さいませ。

 

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